自己紹介

せいしろう物語

昭和16年4月29日、大分県玖珠町の農家の三男として生まれる。
小学校3年生より親元を離れ、徒歩で4時間かかる町の学校へ転入、自炊しながら小中学生時代を送る。

月曜日から土曜日の学校を終え、土曜の午後に4時間の山道を登り、両親の待つ自宅に帰った。
米や味噌を担いで月曜の未明に出発して山道を下り、学校生活に戻る日々を送る。

週末に徒歩で4時間かけて帰宅する生活は、10歳の少年に「政治家になってこの道にバスを走らせたい」と決意させた。

高校入学後、5人兄弟を育てる楽ではない家計を考慮し、自ら高校を2年休学、父を助けて炭焼き、椎茸づくりに励む。2年後に復学し、5年かけて高校を卒業する。

念願の政治学を学ぶため、早稲田大学政治経済学部政治学科へ進学。
学費は、すべてアルバイトと奨学金でねん出した。

政治家になる日を目指して猛進。国会議員秘書として政治の実務を学ぶ傍ら、「明日の国際人を創る青年の会」会長として、21世紀の日本を展望しながら、多くの学生とともに国際交流社会貢献活動に励む。

昭和45年、いよいよ政治活動に踏み出そうと帰郷し、玖珠町長選挙に向けて始動
する。「青二才が・・・」の嘲笑にもめげず、数百回の膝詰め座談会による草の根運動を展開。
全国最年少町長(当時)として、日本中の話題を呼んだ。

29歳の青年町長の敏腕は広く注目され、
昭和52年参議院議員選挙において革新系現職の強敵候補に勝利し、見事当選。
38歳の参議院議員として国政参画する。

昭和58年の任期満了と同時に衆議院選挙に出馬し初当選後、13期連続当選。
衆議院大蔵・予算・決算監視各委員長、テロ特措特別委員会委員長を歴任。農林水産政務次官、外務副大臣、防衛庁長官を経て、第64代衆議院副議長に就任、現在は自民党外交調査会長、自民党総務会委員として活躍。